転輪山 明行寺
-真宗大谷派、蓮如上人御直作御木像、イチョウの大木、百日紅-
当寺は昔、天輪山真無量寺といい、天台宗の寺院であった。仏ヶ尾にあって、長元年中(1028~1037)比叡山の案慧和尚が阿弥陀如来の木造一体ならびに薬師如来の尊像を護持してこの地に来られ、あまねく天台一乗の法を伝えられたのが本寺の始まりである。
保安3年(1122)第二世弘蓮和尚が入寺。第三世順性法師(宝治元、1247)の時仏ヶ尾から当地へ移した。
建仁元年(1201)服部石見守の次男左近太夫が当地に引っ越し屋形を構えた。第七代良香和尚の時、元亀2年(1571)信長叡山を焼き諸国の神社仏閣を焼き払った。当寺も信長の手によって焼亡した。
左近太夫から6代後の了意は元禄元年(1592)大阪よりこの地に戻り、もとの寺地に一宇の堂舎を再建し、安慧和尚が護持された阿弥陀如来を本尊とし他力の法を弘通された。当寺浄土真宗の開基である。第五世了恵の時、本山第十五世常如上人から木仏本像が下付され、この時転輪山明行寺と寺号を改め今日に至る。
延宝元年(1673)8月14日本願寺十五世常如上人のご朱印がある。伝蓮如上人ご直作ご木像として当寺に寺宝安置宝仏とされている。
(立田地区発行『遊学歩道 秀真の里』冊子)